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    ヴァンフォーレ甲府

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    ヴァンフォーレ甲府
    原語表記 ヴァンフォーレ甲府
    愛称 ヴァンフォーレ
    クラブカラー ブルー
    創設年 1965年
    所属リーグ Jリーグ
    所属ディビジョン J2
    ホームタウン 甲府市韮崎市を中心とする山梨県全域
    ホームスタジアム 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場
    収容人数 17,000
    代表者 海野一幸
    監督 安間貴義
    公式サイト 公式サイト

    Template(ノート 解説)サッカークラブpj

    ヴァンフォーレ甲府(ヴァンフォーレこうふ、Ventforet Kofu)は、日本山梨県甲府市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

    目次

    [編集] クラブの概要

    小瀬陸上競技場

    1999年Jリーグ加盟。練習は山梨県小瀬スポーツ公園の球技場、補助競技場、緑が丘スポーツ公園陸上競技場などを使用する。チーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で、現在の甲府市内に本拠を置いていた戦国時代の甲斐国主で、郷土の象徴的人物でもある武田信玄の旗指物「風林火山」にちなんでいる。また多くのJリーグクラブは、親会社である有名企業に頼っている[1]が、ヴァンフォーレは有名企業に頼らず地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けてクラブを運営している。Jリーグ加入当初のホームタウンは「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」だったが、「平成の大合併」に伴う統合により2005年7月までに13市町村となり、その後Jリーグの理事会の承認を得て山梨県全市町村をホームタウンとしている。

    事務所は、2006年より山梨文化会館に隣接して新たに建てられた4階建のビルの3階と4階にある。以前は以前は山梨文化学園が保有している3階建ての雑居ビルを間借りしており、壁面には石原克哉の巨大広告が貼られていた。また、甲府駅南東側にある商店街かすがもーる岡島百貨店の南側)の一角にオフィシャルショップ「ヴァンフォーレプラザ」がある。ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会を受け付けている他、グッズ販売も行なっている。

    ホームスタジアムは山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場である。但し下記のスタジアム・競技場においてもホームゲームとしてリーグ戦が実施されたことがある。

    小瀬陸上競技場以外でのホームゲーム開催スタジアム・競技場
    競技場名 所在地 開催年 最大収容数
    韮崎中央公園陸上競技場 山梨県韮崎市 1999年(4)
    2000年(1)
    4,000人
    富士北麓公園陸上競技場 山梨県富士吉田市 2000年(2) 11,105人
    松本平広域公園総合球技場
    (松本アルウィン)
    長野県松本市 2003年(1)
    2004年(1)
    2005年(1)
    2006年(1)
    20,396人
    国立霞ヶ丘陸上競技場 東京都新宿区 2007年(1) 50,339人
    ※開催年右にある()内の数字はその年開催された試合数。

    なお、サテライトリーグの試合は2008年現在、富士北麓公園陸上競技場と櫛形総合公園陸上競技場の2会場で行なわれている。

    練習場は押原公園グラウンドを中心とした県内13箇所を移動しながら練習を行なっている。企業や学校の練習場を借りて使用する場合もあるがその場合は非公開(私有地による一般人の立ち入りができないため)となる。(詳細はヴァンフォーレ甲府の練習場を参照)

    マスコットキャラクターは2006年6月12日に、甲斐犬をモチーフにした新マスコットのヴァンくんが誕生した。このマスコットキャラクターはデザイン・名称共に一般公募により決められた。

    [編集] クラブの歴史

    [編集] 甲府クラブ時代

    前身の甲府サッカークラブ(通称-甲府クラブ)は、1965年県立甲府第一高校のOBチーム鶴城クラブ(かくじょう―)が日本サッカーリーグ(JSL)昇格を目指して全国社会人サッカー選手権大会に出場する際に、他校出身選手も交えて設立された。(結果はベスト8) クラブは川手良萬[2]の支援により運営されていたが、企業チームではなくれっきとしたクラブチームであり、選手は様々な職業の人間から成り立っていた。

    [編集] 1967年-1985年

    1967年より関東社会人リーグに参加。1969年には全国社会人サッカー選手権大会において優勝(浦和サッカークラブと同時優勝)、JSLとの入れ替え戦に進出するも、日立製作所サッカー部(現-柏レイソル)に2戦2敗で昇格は叶わなかった[3]。翌1970年も同大会で準優勝し入れ替え戦に進出するもNKKに2戦2敗で敗れ昇格ならず。 1972年から新設されたJSL2部に参加。1980年1981年は低迷し入れ替え戦に回るもののいずれも勝利し残留し続けた。

    [編集] 1986年-1994年

    1986年には川手の死去によりクラブの存続が危ぶまれた時期もあったが、支援者の資金協力により存続が決まった。 1992年のJSL閉幕時には、1972年の第1回大会から1991/92年の第20回大会まで、「昇格も降格も消滅もせずJSL2部に所属し続けた唯一のチーム」として特別表彰を受けている。 1992年からはリーグ制度改正に伴い旧JFL2部に参加。 1993年、旧JFL2部において10チーム中9位となり地域リーグへの自動降格の危機に陥ったが、甲府より上位に位置していたNKKとトヨタ自動車東富士FCがこの年を最後に廃部したためかろうじて入れ替え戦に進出。小瀬陸上競技場で行われた入れ替え戦において日本電装(現-FC刈谷)に2-1で勝利し、翌年から1部制になる旧JFLへの残留が決定した。

    [編集] ヴァンフォーレ甲府時代

    1995年、チーム名を現在のヴァンフォーレ甲府に改称。1999年のJリーグ2部制発足に伴いJ2に参加した。歴史上、日本の社会人サッカーで「2部」が発足して以来、常にそのカテゴリーへ所属し続けるという記録を2005年まで更新し続けた。

    [編集] 塚田・勝俣体制(1995年-2000年)

    1999年よりJリーグにディビジョン2(J2)が新設されるため、それに参加することにあわせた準備を実施。山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場の改修、チームの株式会社化を積極的に行なった結果、1997年に1999年からJ2へ参加することが決定された。旧JFL最終年の1998年にはバロン大柴克友らの活躍により過去最高の4位を記録。しかし無理な補強が災いし、この時から業績が悪化。シーズン終了後にリーグ得点王になったバロンがジェフユナイテッド市原へ移籍するなど戦力が大幅に低下した状態でJリーグへ参入することになった。

    1999年はライセンスの問題からそれまで指揮をとっていた塚田雄二にかわり勝俣進体制[4]でJリーグ初年度を迎えたものの、開幕10試合未勝利などチームは惨憺たる状態で、前年度の好成績から一転最下位に陥る。またスポンサー収入の激減や観客の伸び悩みにより業績は更に悪化。前年に続き大柴ら主力を放出せざるを得なくなる。

    2000年には塚田が監督として復帰したもののチーム状況は前年以上に悪化しており、第5節から第32節にJリーグ記録の25連敗[5]を記録するなど2年連続最下位に終わる。また、たびたび3桁の動員を記録するなど観客動員も惨憺たるものでユニフォームスポンサーも胸は2年連続なし、背番号も秋にようやく決まる等収益は数千万程度しかあげられずシーズン終了後、ついに債務超過になりクラブが存続危機に陥る。

    ヴァンフォーレ甲府経営危機問題も参照

    [編集] ヘイス体制(2001年)

    存続運動などの結果、条件付で2001年の参戦が決まり、上永吉英文が強化部長に就任[6]するとブラジルの名門チームパルメイラスと提携を結び、ヘイス監督をはじめ5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。しかし監督をはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、昇格争いをしていたベガルタ仙台に勝利するなどしたが、98失点というJリーグ最多失点記録が災いし3年連続最下位に終わる。しかしこの年に社長へ就任した山日YBSグループ出身の海野一幸による経営改革やサポーターの努力もあり、上記に挙げられた存続条件は3条件ともクリアされ、またJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上したため、2002年度以降のチームの存続が決定した。

    [編集] 第一次大木体制(2002年)

    2002年はパルメイラスとの提携を解除するかわりJ1チームの清水エスパルスと提携を結ぶ。世界的イリュージョニストとして知られる二代目引田天功(プリンセス・テンコー)がスポンサーに就任したことで話題になった。成績的にも、この年に就任した大木武監督の目指すプレースタイルが浸透し始めた後期から徐々に上昇。藤田健倉貫一毅石原克哉水越潤の活躍もあり12チーム中7位に入りJ2参加から初めての最下位脱出に成功する。また観客動員も順調に伸び、9月21日にはセレッソ大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場での観客動員の満員(当時は13000人収容)を記録している。

    [編集] 松永体制(2003年-2004年)

    2003年J2 第30節対アルビレックス新潟戦

    2003年は好成績を残した大木が退任し、再び低迷するのかとの不安も囁かれたが、かわりに指揮を執る松永英機により昨シーズンのプレースタイルを継承。倉貫、石原、水越に横浜F・マリノスなどでプレーしていた外池大亮を加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表の小倉隆史が加入すると藤田との2トップでチーム力は向上、結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど2002年以上の成績を残した。

    2004年は外池がサンフレッチェ広島へ移籍したものの、FWバロンが甲府へ復帰。小倉または山崎光太郎との2トップが機能し得点を量産。一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。しかし昇格も見えていた矢先の7月31日にバロンが契約の問題から退団(その後鹿島アントラーズへ移籍)。それでも第3クールは何とか昇格争いに踏み留まるものの、藤田と石原が怪我により長期離脱すると完全に失速。第4クールは2勝しかできない惨々たる状況で7位に終わり、松永はシーズン終了後に退任した。

    [編集] 第二次大木体制(2005年-2007年)

    2005年に再び大木が監督に就任、2002年から培ってきた攻撃重視のプレースタイル(J2では珍しい)をさらに発展させた。大宮アルディージャから移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、ベガルタ仙台と最終節までもつれ込む熾烈な3位争いを展開。結果最終節で3位に滑り込みJ1・J2入れ替え戦への出場を果たし、柏レイソルとの入れ替え戦においても連勝し、J2初年度から3年連続最下位に低迷し「J2のお荷物」とまで言われていたヴァンフォーレが、遂にJ1への昇格[7]を果たした。

    ヴァンフォーレ甲府の2005年シーズンも参照

    2006年の昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表の林健太郎やJFLベストイレブンの宇留野純などを獲得し、身の丈に合った補強を行ないJ1初のシーズンを迎える。初戦こそ清水エスパルスに敗れたものの3戦目の川崎フロンターレ戦でJ1初勝利を挙げるとバレーや途中加入の茂原岳人らの活躍で横浜F・マリノスや鹿島アントラーズ、ガンバ大阪などの強豪チームに勝利するなどホームゲームでは予想以上の健闘を見せる。一方でアウェーにおいては3勝しかできなかった上大差で負けることが多く、これが影響してJ1に残留するものの18チーム中15位に終わった。そのシーズン終了後に昇格の立役者バレーがG大阪へ、7年間甲府の主力としてプレーした倉貫が京都サンガF.C.へ移籍。更に5年間プレーしたアライールが契約を更新せず退団等各ポジションの要を失なってしまう。

    2007年はブラジル全国選手権で得点王にもなったことがあるアルベルトやオリンピック日本代表の経験をもつ増嶋竜也が新たに加入(いずれもレンタル)。しかしシーズンオフに抜けた主力3人の穴を埋めることができず、開幕直後は4連敗を喫し、その後は4勝1分で乗り切った時期もあったがゴールデンウィーク明け頃から連敗を重ね、第16節においては不可解なジャッジに茂原と林がトラブルを起こし出場停止を喰らう[8]など不安定な状況が続く。前半戦終了後に羽地登志晃ラドンチッチを獲得し後半戦の巻き返しを図ったがともに途中から試合に出る機会すら減り、プレースタイルもパス回しばかりでシュートすら打てないという攻撃的サッカーとは程遠い状況に陥ってしまったため再び連敗を重ねてしまい、11月24日のJ1第33節で柏に1-2で敗れたことによりJ2降格が決定し、大木は退任した。

    [編集] 安間体制(2008年)

    2008年基本メンバー

    ヘッドコーチの安間貴義が内部昇格の形で監督に就任。2007年チーム得点王の茂原が柏へ、2007年ナビスコ杯得点王の須藤大輔ヴィッセル神戸へ、増嶋竜也が京都へ移籍したが、多くの主力選手が残留。美尾敦が7年ぶりに甲府へ復帰、さらにG大阪から前田雅文をレンタル移籍で獲得した。その一方で降格による予算縮小のため外国人選手は愛媛FCへレンタル移籍していたジョジマールの復帰と日本の高校に所属していたブルーノをC契約での獲得に留めた。

    シーズンが始まるとGK桜井繁などの活躍により守備こそ改善されたものの、攻撃陣は茂原と須藤が抜けたうえに、高卒ルーキーであるブルーノのシーズン中でのA契約を見越して、積極的にFWを補強しなかったフロントの失敗から、二人の穴を埋めることができずに前年以上の得点力不足に陥った。さらに、DF特にCBのできる選手が次々と怪我をして欠場したこと(これも2年目の寄井、御厨らの成長が期待できるという理由でフロントが補強に積極的に動かなかったことも遠因としてあげられる)も影響して第1クール14試合で4勝しかできずに9位に低迷。第2クールも勝てない状況が続いたため、サーレスマラニョンの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得、さらに10月にチームマネジメントの強化を図るため、元大宮監督の佐久間悟ゼネラルマネージャー(GM)に就任して巻き返しを図るものの、上位との対戦で勝つことができずに11月8日の敗戦により来期もJ2に残留することが決定した。

    [編集] 地元のサポート体制

    クラブが解散の危機に立たされた2001年、地元市民からは「山梨唯一のプロスポーツクラブの灯を消すな」ということで存続を訴え続け、クラブが掲げた3つの条件(上掲)をクリアして市民チームとして再建を果たしたが、それを支えているのは地元の企業・店舗などからの支援体制である。

    サッカーに関心のなかった甲府市民らまでを巻き込んだ支援活動により、大都市の大手企業だけでなく地元の企業や店舗などもスタジアムの広告看板を掲示するようになった(試合中に使われる担架にまで広告を載せている)他、クリーニング店が選手の使用したユニフォームや練習着を無償洗濯したり、理髪店やパン屋、温泉施設など、多くの企業がヴァンフォーレの選手・スタッフに対しての無料優待を受けて全面的な支援体制を強化させている。

    また、運営会社のヴァンフォーレ山梨スポーツクラブは山日YBSグループ各社との結びつきが強く、クラブ公式サイト(i-mode公式サイトを含む)は山日YBSグループの企業が運営している。また2006年4月から山梨放送でヴァンフォーレ甲府応援番組VENTスポ!が始まった。

    これらの体制やクラブ運営が評価を受け、徳島ヴォルティスがJリーグ参入前に海野を徳島へ呼んでアドバイスを受けたり、四国アイランドリーグ代表取締役当時の石毛宏典が経営の参考にするために甲府へ訪れたりしている。

    [編集] エピソード・トピックス

    • 小瀬競技場の使用日程についてかつて日本陸上競技連盟と揉めることがあった。これは山梨県に第一種公認陸上競技場が小瀬にしかなく、Jリーグの試合とバッティングした場合は主要大会が開催できなくなるため。当初は陸連側に使用優先権があったため甲府は韮崎や富士北麓で開催したり、金曜日の昼間に開催せざるを得ない場合があった。最近は一部の主要大会を除き日程調整ができるためこういったことはなくなった。
    • 2002年と2003年に甲府のユニフォームスポンサーを行なっていたプリンセス・テンコーは試合前にイベントを行なったり甲府のユニフォームを着て笑っていいともに出演するなど積極的に甲府を支援していた。そのため、スポンサーを辞した現在でも甲府サポーターから支持を受けている。(現在は山梨県の女子バスケットボールチームに山梨クィーンビーズのスポンサーである)
    • 2005年3月に同じ公園内にある野球場にて読売ジャイアンツのオープン戦が開催されることになり、Jリーグの日程とかぶってしまったため観客の奪い合いになることが懸念された。しかし当時巨人の監督であり、地元山梨出身であった堀内恒夫が海野と相談。結果オープン戦の日程をずらすことで決着したため奪い合いにはならなかった。
    • オールスターサッカーの振り分けは2006年はかろうじて東軍(わずかに西に位置している清水は西軍)であったが2007年は西軍に振り分けられた。これは甲府より西にあった京都サンガF.C.、セレッソ大阪、アビスパ福岡がともにJ2に陥落し、かわりに甲府より東に位置する柏レイソルと横浜FCが昇格したためである。
    • Jリーグ創設時から現在まで唯一の公務員選手(石原大助)が所属していた。またフィジカルコーチとして就任したものの経営難による事情のため5年ぶりに現役復帰した選手(鶴田道弘)など珍しい経歴を持つ選手が多く所属していた。

    [編集] ジンクス

    • Jリーグ参入後、J2創設後に加入した10チームの中では唯一開幕戦に勝ったことが一度もない。さらに第2戦も勝ったことがないため、スタートダッシュにつまずくことが多い。なお、過去10シーズンのうち8シーズンにおいて小瀬で初勝利を挙げている(現方式だと9シーズン)。
    ヴァンフォーレ甲府の開幕戦と第二節、シーズン初勝利の成績
    年度 開幕戦 第二節 初勝利
    1999年 大宮韮崎中央)1-2● 鳥栖鳥栖)0-4● 第11節、対仙台仙台)2-1※
    2000年 札幌小瀬)0-3● 新潟新潟市陸)2-3● 第3節、対仙台(小瀬)1-0
    2001年 川崎F等々力)1-3● 湘南(小瀬)0-3● 第6節、対水戸(小瀬)3-1
    2002年 横浜FC三ツ沢球)2-3● 福岡(小瀬)0-2● 第3節、対水戸(ひたちなか)1-0
    2003年 鳥栖(小瀬)1-1△ 水戸(水戸市陸)0-1● 第3節、対湘南(小瀬)1-0
    2004年 札幌(札幌D)2-2△ 川崎F(松本)1-2● 第6節、対湘南(小瀬)1-0
    2005年 札幌(小瀬)2-2△ 仙台(小瀬)1-1△ 第4節、対水戸(小瀬)4-1
    2006年 清水(小瀬)0-2● 千葉フクダ)2-2△ 第3節、対川崎F(小瀬)1-0
    2007年 横浜FM日産)0-1● 名古屋(小瀬)0-2● 第5節、対神戸(小瀬)4-3
    2008年 岐阜(小瀬)1-1△ 徳島(小瀬)0-0△ 第6節、対C大阪 (小瀬)3-2

    ※当時の延長Vゴール方式による、現方式だと初勝利は第12節の新潟戦(小瀬、3-0)となる。

    [編集] 今まで行なわれた主な公式イベント

    川中島ダービー

    主催試合のアルビレックス新潟戦(2003年はJ2,2006年はJ1)では、武田信玄甲斐)と上杉謙信越後)の「川中島の合戦」にちなんだ演出がなされる。長野県信濃)の松本アルウィンを会場にし、試合前に武田・上杉両軍に扮したパフォーマンスが行われる。なお、2007年は都合上小瀬を使用することになったため川中島の演出は行なわれない。[9]

    温泉ダービー

    2005年に松本アルウィンにて行なわれたザスパ草津戦では「温泉ダービー」と称し、草津側と共に温泉にちなんだ演出が行なわれた。[10]

    小瀬一万人動員作戦

    観客動員増加に躍起だったクラブは2005年までに年数回、観客動員一万人を目標とした動員作戦を行なっている。特筆すべきなのは2002年第32節のセレッソ大阪戦と2005年第34節の横浜FC戦である。前者は当時日本代表だった森島寛晃を絡めて「モリシが来る!」[11]、後者は横浜FCに移籍した三浦知良を絡めて「カズ来甲!」[12]と新聞等で煽り、普段足を運ばない人々を小瀬に呼び寄せ、結果前者は当時の満員、後者はJ2時代の小瀬最高動員を記録した。

    クラブ法人化10周年

    2007年にクラブが法人化されて10周年になったことから、8月に浦和レッドダイヤモンズとの主催試合を国立競技場で行った。試合前にはスポンサーの東京エレクトロン渋谷駅新宿駅汐留駅で試合開催の広告を掲出したり、当日は大黒摩季によるコンサートも行なわれた。この試合で36,756人の過去最多観客動員を記録している。[13]

    [編集] チーム成績・歴代監督

    [編集] JSL(1972-1992)

    [編集] 旧JFL(1992-1998)

    [編集] Jリーグ(1999-)

    [編集] Jリーグ公式戦対戦通算成績

    2008年全日程終了時点

    チーム名 J1 J2 合計
    コンサドーレ札幌 - - - 5 7 8 5 7 8
    ベガルタ仙台 - - - 7 4 12 7 4 12
    モンテディオ山形 - - - 10 5 16 10 5 16
    水戸ホーリーホック - - - 10 3 13 10 3 13
    鹿島アントラーズ 1 0 3 - - - 1 0 3
    ザスパ草津 - - - 4 2 1 4 2 1
    浦和レッズ 0 1 3 0 0 4 0 1 7
    大宮アルディージャ 2 1 1 5 2 17 7 3 18
    ジェフユナイテッド千葉 0 1 3 - - - 0 1 3
    柏レイソル 1 0 1 - - - 1 0 1
    FC東京 1 0 3 0 0 4 1 0 7
    東京ヴェルディ - - - - - - - - -
    川崎フロンターレ 1 1 2 3 4 13 4 5 15
    横浜F・マリノス 1 1 2 - - - 1 1 2
    横浜FC 2 0 0 11 6 6 13 6 6
    湘南ベルマーレ - - - 9 6 12 9 6 12
    アルビレックス新潟 0 0 4 4 4 12 4 4 16
    清水エスパルス 0 1 3 - - - 0 1 3
    ジュビロ磐田 0 1 3 - - - 0 1 3
    名古屋グランパス 1 1 2 - - - 1 1 2
    FC岐阜 - - - 1 2 0 1 2 0
    京都サンガF.C. 1 1 0 3 1 8 4 2 8
    ガンバ大阪 1 0 3 - - - 1 0 3
    セレッソ大阪 1 0 1 1 3 3 2 3 4
    ヴィッセル神戸 1 0 1 - - - 1 0 1
    サンフレッチェ広島 3 1 0 3 1 3 6 2 3
    徳島ヴォルティス - - - 4 2 0 4 2 0
    愛媛FC - - - 2 0 1 2 0 1
    アビスパ福岡 0 2 0 8 5 6 8 7 6
    大分トリニータ 2 0 2 1 1 14 3 1 16
    サガン鳥栖 - - - 7 12 12 7 12 12
    ロアッソ熊本 - - - 2 0 1 2 0 1
    通算 19 12 37 101 69 166 120 81 203
    • 2008年現在、現存するチームで唯一リーグ戦で対戦したことがないのは東京ヴェルディのみであるが、東京ヴェルディは2009年にJ2へ降格するため、新規参入する栃木SCカターレ富山ファジアーノ岡山を含め全チームとの対戦が実現する。
    • 横浜フリューゲルスとは甲府がJリーグへ参入する前に合併消滅してしまったため、リーグ戦での対戦がない。但し旧JFL時代の1998年天皇杯で対戦しており、また東京ヴェルディも2003年の天皇杯で対戦していることから公式戦全体を見れば全Jリーグチームとの対戦は実現している。

    [編集] 相性

    • 1999年から2001年まで3期連続最下位の影響から、J2結成時の9チームと2000年に加入した水戸ホーリーホックに負け越している。一方でチーム状況が改善した2001年以降の参入チームには全チーム勝ち越している。
    • オリジナル10の中では唯一サンフレッチェ広島に勝ち越している。J1では4戦3勝1分と無敗であるほか、2008年シーズンで広島が喫した4敗のうち2敗が甲府との対戦など相性がよい。
    • 逆にオレンジ系のチームとは相性が悪く、