真帆志ぶき
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真帆志ぶき(まほ しぶき、1936年2月5日 - )は、元宝塚歌劇団の男役スターで、日本の女優、歌手である。本名:名和 富美子(なわ ふみこ、旧姓鈴木)。神奈川県川崎市生まれ、出身校川崎高校、身長164センチ、愛称スータン(旧姓にちなむ)。
なお近年芸名の表記(読み方は変更なし)を眞帆 志ぶきと改めた。
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[編集] 略歴
高校を中途退学して宝塚音楽学校へ入学。その後宝塚歌劇団に入団。芸名については「真っすぐに帆を張り、しぶきをあげて元気に行くようにと、(真帆の)父と堀正旗先生の二人に命名してもらった。」(本人談話)
39期生として1952年(昭和27年)月組公演『アメリカーナ』『春のおどり』で初舞台を踏む。同期生に朝丘雪路、千之赫子らがいた。 当初花組へ配属。
早くから実力を開花させ入団四年目の1955年12月花組公演『国姓爺合戦』のメイン級に抜擢される。1950年代後半まで花組で淀かほるら、1960年代雪組に組替後は明石照子、の当時のトップらと互角の活躍をみせた。
1962年限りで退団した明石の後任として同7月宝塚大劇場本公演『花のオランダ坂』『ナンバー・ワン』で雪組男役トップ就任。相手役は絶大な歌唱力と確かな演技力・存在感に定評があった加茂さくら(1968年加茂自身の専科転出まで)、大原ますみ(1969年以降)がつとめた。
1971年本公演『シンガーズ・シンガー』をもって郷ちぐさに雪組男役トップを譲り専科へ移動。同年5月星組公演『ノバ・ボサ・ノバ』(初演)に特別出演、義賊ソール役で主演。その後も各組の公演への特別出演のみならず、実力を買われての帝国劇場、歌舞伎座、日生劇場などへの外部出演も多数こなし1975年雪組公演『ザ・スター-さよなら真帆志ぶき-』(作・鴨川)をもって宝塚歌劇団退団、芸能界へ進出。
退団後は劇団四季の『シーソー』など多岐の団体の諸作品への出演も幾度となく行いキャリアを積んだが、後に自身の結婚や近年の高齢化などもあり、ここ数年はリサイタルやワンマンショー、宝塚のOGイベント出演に活動の重点をおいている。
[編集] 代表作
- 『花のオランダ坂』(1962年初演、1967年再演)
- 『クレオパトラ』(1963年)
- 『花のふるさと物語』『テンペスト』(ともに1964年)
- 『シャンゴ』(1967年初演、1968年再演鴨川清作作のショーの傑作)
- 『トリスタンとイゾルデ』(1968年)
- 『ハムレット』『回転木馬』(ともに1969年)
- タカラヅカEXPO'70 『四季の踊り絵巻』『ハロー!タカラヅカ』(1970年)
[編集] 宝塚時代のスター性
- 真帆の身長は164センチで、当時の男役としては破格の長身だった。そしてダンス・歌唱の実力で早くから注目されていた。
- トップ披露公演となった『花のオランダ坂』では作家・菊田一夫の指導のもと演技開眼、宝塚歌劇団史に輝く三拍子そろった芸達者の誕生であり、熱狂的な"スータンファン"も多く、在団中にさる玩具メーカーから真帆を模した"スータン・ドール"という人形も作られたほどだった。(人形化されたスターは天海祐希など非常に数が少ない)
- これが8年あまりトップ在任がつづいた当時としても異例の"長期政権"を産んだし、そのスター性は汀夏子ら当時の雪組後輩男役組子の多くにも影響を与えた。
- 『ノバ・ボサ・ノバ』『シャンゴ』などを作った鴨川のことを大変敬愛しており、鴨川も申し分のない実力と芸事への取り組みを見せた真帆には全幅の好感・信頼を寄せていたともいわれる。
- 鴨川・真帆の前述のショー二作はあまりの反響から再演がなされ、上演から久しいいまも語り草となる程の大成功をおさめた。
[編集] テレビ番組
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