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    関東地方

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 関東地方
    関東地方のデータ
    1都6県の合計
    面積 32,423.90km²
    総人口 42,124,194
    (2008年9月1日)
    人口密度 1,299.17人/km²
    (2008年9月1日)
    位置
    関東地方の位置

    関東地方(かんとうちほう)とは、本州の東部に位置する日本の地方である。茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県の1都6県から構成される。これに山梨県を加えた1都7県を首都圏と呼ぶ。

    現代の関東地方が「関東」と呼称されるに至った経緯については、関東の項目を参照のこと。

    目次

    [編集] 地理

    関東地方

    [編集] 位置

    日本最大の平野「関東平野」が中央に広がり、北西側は山岳地帯、東南側は太平洋に面する。関東の東部には房総半島(千葉県)、南部には三浦半島(神奈川県)が太平洋に突き出しており、房総半島と三浦半島の間に東京湾、三浦半島と真鶴半島の間に相模湾を形成する。また、地理的な一体性は薄いが伊豆諸島小笠原諸島も東京都の管轄下にあるため、行政的には関東地方である。

    上記市町村内に「最○端」が存在する。但し、伊豆諸島や小笠原諸島を加えると、最東端は東京都小笠原村南鳥島、最西・最南端は同村の沖ノ鳥島。南鳥島は日本の最東端、沖ノ鳥島(無人島)は日本の最南端であるため、関東地方は日本の最東・最南端とも言える。

    [編集] 島嶼

    [編集] 自然地理

    地質的には第四紀沖積層洪積層であり、植生は平野部やその周辺の標高約500~900mの低山には常緑広葉樹林が広がり、箱根で約900m、丹沢高尾で約800m、奥多摩奥武蔵奥秩父で約700m、西上州赤城足尾山地筑波山で約600m、北毛那須の山地で約500mまで照葉樹が生えることができる。

    また、常緑広葉樹林の上にはブナシラカバミズナラなどの落葉広葉樹林が広がる。しかし、千葉県は標高が低いため成立しない。茨城県には筑波山山頂周辺と、北部の山の一部にしか広がっていない。

    また、落葉広葉樹林の上にはシラビソダケカンバなどの針葉樹林が落葉広葉樹林の下限から約1100m高い標高から広がるが、千葉県はもちろん、茨城県神奈川県にも標高が低いため成立しない。東京都には雲取山周辺の僅かな面積にしか広がっていない。

    北端には帝釈山脈高原山那須連山八溝山三国山脈、西端には関東山地奥秩父山塊もこの一部)などの山地がそびえて、各隣接地方へ繋がる。日本最大の平野である関東平野が広がり、塩那丘陵をはさんでその直ぐ北には那須岳山麓に広がる日本最大級の扇状地那須野が原、東側には上総台地を挟んで千葉県の海岸沿いには九十九里平野が広がる。千葉県南部は房総丘陵で、茨城県の霞ヶ浦周辺は常総台地常陸台地になっている。群馬県や埼玉県秩父地方などは盆地になっている。荒川江戸川などの各河川は東京湾へ注ぎ、鬼怒川利根川(「坂東太郎」とも呼ばれた)は犬吠埼太平洋へ注ぐ。

    東京湾は、房総半島三浦半島に囲まれ、千葉県の西側、東京都の一部と神奈川県の南側に面して、浦賀水道から太平洋に接する。沿岸部は工業地帯になっている。神奈川県の南側は相模湾相模灘に、茨城県の沿岸は鹿島灘に面する。また、相模湾には、二回の関東地震の震源地となった相模トラフが通っているために、各地で地震対策にも力が入れられている。

    最高地点は、栃木県日光市と群馬県片品村との境にある日光白根山(奥白根山)山頂。日本の都道府県の最高地点としては、八番目に高い。また、関東以北(関東・東北・北海道)の最高地点でもある。都道府県の最高地点は埼玉県が三宝山 (2483m)、東京都が雲取山(2017m)、神奈川県が蛭ヶ岳 (1673m)、茨城県が八溝山 (1022m)、千葉県が愛宕山(408m)である。千葉県の愛宕山は、各都道府県の最高峰の中では最も低い。

    「首都圏」といわれる地方でありながら、自然環境に恵まれているといえる。自然公園面積の割合は、東京都が全国第二位、埼玉県が第四位、神奈川県が第十位である。

    [編集] 気候

    • 太平洋沿岸に位置するため、が多く、に乾燥する太平洋側気候が見られる。沖合いは黒潮の通路となっている。但し、栃木県や群馬県、埼玉県などの内陸部では、寒暖差の大きい内陸性気候が見られ、栃木県、群馬県の豪雪地帯(群馬県片品村は特別豪雪地帯)は日本海側気候も見られる。
    • 梅雨から初夏、秋分前後には、北東からの冷たい海風により、曇りがちの天気が続くことがある。
    • 栃木県、群馬県、埼玉県北部には、夕立による雷の発生が多い。
    • 関東北部山岳地帯の近辺では、日本海からの雪雲により、冬に降雪が多い。
    • 冬は、南岸低気圧が通過する時に、が降り易い。東京水戸など沿岸平野部の降雪は、ドカ雪(湿り雪)か粉雪かの二つのパターンが多い。特徴として、南岸低気圧の時は湿り雪で、冬型の時は粉雪となる日が多い。但し、冬型で大雪となる地域は那須岳三国山脈に近い北側の山間部に多く、南側にはない。例外的に寒冷低気圧の降雪もある。

    [編集] 歴史

    武士の王国から日本の中心地へと、関東地方は変遷した。

    [編集] 先史時代

    関東地方に人が住みはじめたのは旧石器時代であった。群馬県の岩宿遺跡からは、関東ローム層から旧石器時代の物とされるナイフ形石器が発見されているが、関東ローム層の酸性土壌のために、人骨などは見つかっていない。

    縄文時代の関東地方は温暖な環境に恵まれ、縄文人は関東各地に大型集落を営んだ。縄文時代の南関東は日本列島で最も人口密度の高い地域であったと推測されている。縄文海進の時期には、現在の茨城県中南部の低地、千葉県北部の下総台地以外の地域、東京23区の東部、埼玉県の東南部は海であった。内陸に入り込んだ遠浅の海はよい漁場となり、現在海岸から離れている地域にも加曽利貝塚を筆頭に巨大貝塚が形成された。

    弥生時代、関東でも水田稲作が行われるようになり、多摩川流域や相模平野を中心に農耕が行われていたと思われる。海面の後退と土砂の堆積により、まだ東京湾に流れ込んでいた利根川の下流域に広大な沖積平野が生まれる。関東ローム層に覆われた台地は水源に恵まれないため、まだ深い森であった。

    [編集] 古代

    古代、4世紀頃には既にヤマト王権が関東地方を勢力下に置いていたとされるが、その根拠の一つが、関東にも存在する前方後円墳だ。前方後円墳はヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられている。7世紀末、下野国国造である下毛野氏一族の下毛野朝臣古麻呂藤原不比等が中心となり制定した律令制大宝律令)の作成に協力したとされるのも、天武天皇に朝臣姓を賜り、朝廷に仕えた一族ならではの事である。下毛野一族は蝦夷征伐を任された将軍との説もある。関東南部の旧入間川(荒川)~旧荒川(元荒川)~旧利根川(古利根川)~旧渡良瀬川(江戸川)~毛野川(鬼怒川)に至る地域は、古代は低湿地帯であった。従って、概して当時の関東はこの低湿地帯の北部にあたる毛野川流域地域(毛野国)とその南部地域(无射志国)に分かれていたと考えられる。毛野国は、筑紫吉備に比肩する大国であったといわれる。奈良時代下毛野氏の氏寺であった下野薬師寺は、奈良東大寺大宰府観世音寺と並ぶ三戒壇に指定されており、この点からも下毛野氏が大和朝廷との関係において高い地位にあったことが伺える。一方、上総国下総国安房国房総半島(ふさ)と呼ばれ、『古語拾遺』によると、四国から渡来した忌部氏が開拓したという。これらの諸国を一括する語が「吾妻」である。記紀神話では、日本武尊の説話が起源とされているが(「あづまはや」という嘆きの詞)、元々は当地の神話であった物を取り込んだ可能性がある。その傍証として、天武10年(681年)に詔を受けて史書編纂に従事した群臣のうち、王族を除くトップは上毛野君三千であった。なお、上総国下総国常陸国には、阿波忌部氏に続き神八井耳命の血を引く肥後国造の一族である多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、鹿島神宮を建立し氏神されたという鹿島の元本宮伝承などが存在する。また、香取神宮もこの際に出雲系の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが起源だとする伝承がある。

    宋書倭国伝』の武の上表文に、のちの雄略王の祖先が「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を征すること六十六国と記されていることから5世紀頃の関東地方には、国と認識されるものが複数存在したことが記されている。『梁書』などの「扶桑國」「女國」、『旧唐書』に登場する「毛人國」、唐代の漢詩に見える「扶桑東更東」といった地域を関東に比定する説がある。稲荷山古墳金錯銘鉄剣銘文中の「大王」も、畿内ではなく関東にいた首長を指すとする立場(古田武彦井上秀雄鶴岡静夫ら)もある。太田天神山古墳のような巨大古墳や、金鈴塚古墳のような豪華な副葬品を持つ古墳が築造された。このように、関東地方は、古墳時代には、畿内に比肩しうる王権を確立していたとも考えられている。

    律令制五畿七道の交通網について、関東には畿内から陸奥国に伸びる東山道と、同じく畿内から伸びて三浦半島から海路房総半島に出て香取鹿島に向かう東海道が整備されたと言われる。「関東」は、京の防備のために設けられた東海道伊勢国の鈴鹿関(鈴鹿峠)、東山道美濃国の不破関(関ヶ原)、北陸道越前国の愛発関(愛発山、あらちやま)の三関から東の全域を指した。その中でもとりわけ、「東海道の足柄関箱根峠)から東の国」と「東山道の碓氷関(碓氷峠)から東の国」が、関東地方に当たる。陸奥国東北地方太平洋側)との境には、白河関勿来関が設置された。関東地方には、西から順に相模国武蔵国下総国上総国安房国常陸国上野国下野国の8つの令制国が設置され、分割統治された。古くは坂東(ばんどう)といわれた。坂東は信濃国上野国の界にあたる碓日嶺と、駿河国相模国の界にあたる足柄坂の東の意味である。

    大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは新羅が権勢を揮い、663年には百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗668年に同様に滅された。また、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの人間が渡来人として日本各地に流れてきており、ヤマト王権は彼らに関東の未開発地を与えて住まわせ、関連する地域の名が今でも残る(例:武蔵国高麗郡新羅郡新座郡)。

    律令時代の関東は配流の地でもあり、斑鳩奈良に本拠地を置く畿内政権からは、「都からは遠く、自力で帰るのが難しい地方」と見られており、特に安房国常陸国は、「遠流」の地ともいわれ、北九州へ向かう防人も関東から多く徴用され、それを象徴する語に「鹿島立ち」があるとされる。

    平安時代には、親王任国には、常陸国上総国上野国親王任国に設定された。11世紀頃に成立した『更級日記』などに、松戸幕張利根川武蔵野等の情景が描かれている。10世紀には親王任国が半制度化し、下総国常陸国上野国には桓武系平氏を中心に平家武士が増加、その一人である平将門は自ら天皇と称し、関東の独立を目指して蜂起すると、下野国押領使藤原北家魚名流藤原秀郷は朝廷の意向をもってこれを討伐した。概ね北関東以北は藤原北家や清和源氏河内源氏)を出自とする領主、南関東平氏を出自とする領主が支配した。この頃、関東は「あづま」(畿内から見て東なので「東」の字が充てられる)と呼ばれ、関東の武将たちは、その勇猛さから「あづまえびす」(東夷)と侮蔑的に呼ばれた。将門の独立志向が、その後の関東の武士政権への道を開いたことを、網野善彦は指摘している。下毛野公時足柄山の金太郎のモデルとなったと言われる。

    [編集] 中世

    源頼朝鎌倉幕府を樹立する頃には、関東各地で開拓が進み、中小武士団が割拠した。北関東藤原北家流諸氏(那須諸氏宇都宮氏小田氏小山氏結城氏等)や清和源氏流諸氏(足利氏新田氏佐竹氏)、南関東桓武平氏流諸氏(鎌倉党三浦党千葉党など)や武蔵七党が領有した。

    南北朝時代には、足利幕府(源氏政権)の出仕機関である鎌倉府が同じく鎌倉に置かれ、鎌倉公方(源氏)を関東管領(主に藤原勧修寺家流)が補佐、さらに関東八屋形(藤原北家流6氏・源氏流1氏・平氏流1氏の計8氏)が各領土内での実権を有した。事実上、東国武家政権の伝統を引き、東日本を広く管轄した。

    室町時代には、鎌倉公方は室町幕府(源氏)と対立し、これに、関東管領上杉氏(藤原勧修寺家流)も加わった。その結果、大きな戦いだけでも、

    と相次ぎ、小規模なものも含めれば、関東地方は連年続くことになった戦争によって荒廃した。一連の戦いによって関東管領・鎌倉公方(古河公方)をはじめ、関東の各氏は勢力が衰え、戦国時代にはこれに乗じた小田原北条氏後北条氏=伊勢平氏を称す)が台頭し、関東各地を次々と支配下に置いた。対抗勢力として上杉氏が期待されたが影響力は発揮されなかった。最終的に朝廷の意向を受けた豊臣秀吉が鎮圧に乗り出すが、それまでは里見氏佐竹氏宇都宮氏がこれに抗し領土を守った。しかしその後、新たに起こった中央政権によって関東の領有権を没収されていった。

    [編集] 近世

    江戸時代には、関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国相模国上総国下総国安房国上野国下野国常陸国の八国を指した。関八州を得た徳川家康駿府(現静岡市駿河区葵区の一部、市制施行時の静岡市)から江戸(現東京都区部の一部、のちに東京市となる東京府区部にほぼ相当)に本拠地を移し、江戸湾に注ぐ利根川渡良瀬川水系を毛野川水系に纏め、現在の利根川水系の原型を形造る利根川東遷事業を進めた。この事業によって江戸付近の雨期の河川氾濫を治め、旧利根川・旧渡良瀬川の下流~河口地帯を干拓して江戸の町の基盤を作った。こうして家康は江戸幕府を樹立し、その後は江戸幕府によって隅田川江戸川、玉川上水などの水路整備事業が行われ、江戸は水路を周囲に巡らす世界屈指の大都市となった。また、田沼意次により、印旛沼の干拓事業なども行われた。

    江戸時代の関東地方は、正に徳川氏の自領であった。徳川御三家の一つ・水戸徳川家が治める水戸藩、徳川氏の側近が治める川越藩など、関東各地には徳川氏の血縁者や譜代大名旗本が治める(地方王国)が樹立され、日光神領などの天領を含め、徳川家の支配地となった。また、日光日光東照宮)や鹿嶋鹿島神宮)や成田成田山新勝寺)といった門前町も盛えた。

    幕末には、マシュー・ペリーが率いるアメリカ艦隊が江戸湾に入港したり、水戸天狗党の挙兵、上野戦争宇都宮攻防戦といった北関東の戦役など、政局や戊辰戦争の舞台となった。

    [編集] 近代

    江戸幕府が倒されて明治政府が誕生すると、天皇を初めとする皇族京都御所から江戸城に移り、江戸は東亰(とうけい、後に東京(とうきょう))と改名されて、東京は明治政府の本拠地となった。これ以後、東京は実質上の首都、政治・経済・文化の中心となった。そして、関東は、畿内以外で初めて、中央集権型政権の本拠地が置かれる地方となった。

    東京には、軍事経済以外の国家の中枢機関が置かれた。そして、東京と横浜は、文明開化の中心地となり、近代化を主導した。この文明開化の時代には、官民を挙げて鉄道が建設されて、速達力が高上する時代が到来した。

    1871年8月の廃藩置県を経て、1876年8月以降の関東地方は、南西から時計回り順に神奈川県東京府(1943年7月以後は東京都)、埼玉県群馬県栃木県茨城県千葉県の7つの県に分割され、現在に至っている。1876年4月17日までは、鎌倉や東京との繋がりが深い伊豆半島が、足柄県の一部として関東地方に含まれていた。

    [編集] 現代

    第二次世界大戦の戦乱を経て、高度経済成長期が到来すると、東京湾岸には京浜工業地帯が造成され、京浜工業地帯の中小工場には、東日本各地から「金の卵」と呼ばれる労働者が集まった。そして、第二次産業から第三次産業までの大手企業の本社が、次々と東京に移転し、経済面で東京への一極集中が進行した。しかし、東京への過剰な一極集中は、政治・行政・経済・文化など、多方面の問題にもなっている。

    近畿地方との間には東海道新幹線1964年10月開通)と東名高速道路1969年4月開通)が、東北地方太平洋側(旧陸奥国)との間には東北新幹線1982年6月開通)と東北自動車道1987年9月全通)が建設された。これにより、本州太平洋側の地方は、高速交通網での縦断が可能な時代になった。

    [編集] 地域

    [編集] 関東地方内の区分

    • 南関東(みなみかんとう):利根川以南の千葉県+東京都+神奈川県+埼玉県の1都3県を指す。埼玉県を除いて1都2県とする場合もある。
    • 北関東(きたかんとう):利根川以北の茨城県+栃木県+群馬県の3県を指す。埼玉県を含めて4県とする場合もある。
      • 衆議院小選挙区の北関東ブロック:茨城県+栃木県+群馬県+埼玉県。
    • 東京圏(とうきょうけん):東京の都市圏が拡大しているため、時期により範囲は異なる。総務省の基準では、新宿移転前の東京都庁(東京都千代田区。現在の東京国際フォーラム)から70km圏内を指し、東京都、千葉県、茨城県、埼玉県、神奈川県に及ぶ(2000年国勢調査時)。一般的には[要出典]、「東京都心からNkm圏」のように用いる。
    • 東京大都市圏:東京都区部(旧東京市)の都市雇用圏(10%通勤圏)。東京都、千葉県北西部、茨城県南西部、埼玉県東部・中南部・西南部、神奈川県の大部分を含む。
    • 常総(じょうそう):茨城県+千葉県。狭義では、利根川に近い茨城県南部(旧新治県)+千葉県北部の一帯を指す。関東の東半分に当たるので、東関東(ひがしかんとう)ともいう。
    • 常武(じょうぶ):茨城県+千葉県+東京都。城東地区+常総を指す。
    • 両毛(りょうもう):群馬県+栃木県。
    • 上武(じょうぶ):群馬県+埼玉県。
    • 毛武(もうぶ):群馬県+栃木県+埼玉県。
    • 東上(とうじょう):東京都+埼玉県+群馬県。
    • 武相(ぶそう):東京都+神奈川県(+埼玉県)。
    • 総武(そうぶ):千葉県+東京都(+埼玉県)。(千葉県北部だけを指すときもある。)
    • 多摩地方(たま):東京都から区部と島嶼部を除いた地域。但し、明治時代東多摩郡に属していた中野区杉並区を含む場合もある。
    • 武蔵(むさし):昔は、埼玉県+東京都+神奈川県の一部だったが、現在は埼玉県秩父地方・飯能などの西部+東京都西部。[要出典]奥武蔵は、秩父地方の奥の旧大滝村などが合併した秩父市辺りのこと 飯能も加わることもある
    • 八高(はちこう) :八王子市 - 高崎市の縦断区間。
    • 埼京(さいきょう) :東京23区 - さいたま市の縦断区間。
    • 京葉(けいよう) :東京23区 - 千葉市の横断区間。
    • 京浜(けいひん) :東京23区 - 横浜市の湾岸(もしくは東部)縦断区間。
    • 東横(とうよこ) :東京23区 - 横浜市の中部縦断区間

    [編集] 地域別の特徴

    [編集] 南北に分けた場合

    [編集] 東西に分けた場合

    • 東関東(茨城県+千葉県)[要出典]
    • 西関東(茨城県と千葉県を除く関東地方)[要出典]
      • 西に関東山地が峙える。地域間移動は流動的で、川(利根川多摩川)を越えた地域同士の交流も目立つ。両毛地方や国道16号沿線にはロードサイドショップが多く、埼玉県から多摩地方への移動は、道路では国道16号経由、鉄路では東京経由が主流である。
      • 北西部(毛武)に当たる埼玉県・栃木県・群馬県では、農業が盛んである。しかし、南西部(武相)に当たる東京都と神奈川県では、農業の占める割合が極めて低く、第三次産業の占める割合が極めて高い。これも、交易によって勢力を維持した平氏流諸氏の支配地域と、農業によって勢力を維持した源氏流諸氏の支配地域の特徴がよく表れている現象の一つと言えよう。

    [編集] 隣接する県を編入する例

    中央省庁や企業・団体のエリア区分による「関東」の範囲は、必ずしも「箱根関小仏関碓氷関から東」とは定義されておらず、統一されていない。

    [編集] その他の例

    • 21世紀FIT構想[1](福島県+茨城県+栃木県の頭文字)
      • 首都移転候補地を域内に含む3県の観光、地域連携などの地域推進協議会。
    1. ^ [1]

    [編集] 経済

    [編集] 経済の全体的傾向

    関東地方は日本の人口の約1/3を占めており、中でも利根川以南の一都三県のみで、3400万人を超す人口を抱えており、153兆5000億円ものGDPを生み出している。

    地域別特徴を見ると、本社の大半は、東京都区部に集中している。一方で、東京都区部を除く地域には、特定企業の工場が集まる「企業城下町」や、営業所や小売業が多く立地する都市が多く見られる。

    [編集] 第一次産業

    [編集] 農業

    [要出典]

    [編集] 畜産業

    • 大消費地である東京を控え、茨城県や栃木県、千葉県を中心に養豚、養鶏、酪農が多い。生乳生産量では、北海道に続いて、栃木県が第二位、千葉県が第三位に位置する。

    [編集] 漁業(水産業)

    • 太平洋側を中心に水揚げが多い。特に銚子漁港は、国内有数の水揚げ高を誇る。
    • 成田国際空港は、水産物輸入金額が日本一であるため、「成田漁港」とも呼ばれる。

    [編集] 第二次産業

    [編集] 鉱業