高崎市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高崎市(たかさきし)は、関東地方の北西部、群馬県南西部の市。旧群馬郡・碓氷郡・多野郡(1900年の市制当時の区域は旧群馬郡)。平成の大合併により、人口が県内一となった。2001年から特例市の指定を受け、2011年4月に中核市移行予定。2000年に市制100周年を迎えた。
目次 |
[編集] 概要
古くから交通の要衝で、中山道(国道17号高崎以南・国道18号)と三国街道(国道17号高崎以北)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と長野新幹線の分岐点ともなるなど、全国有数の交通拠点都市である。新幹線の停車する高崎駅は県庁所在地前橋市の玄関口ともなっており、群馬県及び北関東の交通の中心地である。平成の大合併では、倉渕村、箕郷町、群馬町、新町、榛名町を編入し、広大な市域に県内一の人口を擁するようになった。都市圏人口は約53万人で、都市圏人口としては県内一の規模といわれる[要出典]。[1]公示地価では、高崎市が商業地・住宅地とも県内最高地点を占めている。このことから文教都市・行政都市の性格を持つ前橋市に対して高崎市は経済都市・商業都市の性格を持つ。中心地域は旧群馬郡高崎町を中心とする地域。
江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中随一の宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどでである。鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名としてとどめている。 現代でも県内有数の商業都市として盛えている。又、高崎郊外に位置する問屋町は、日本初の郊外型問屋団地である。
政治的には、本市から自民党の政治家(総理大臣については本市から3名)を多く出しており、「自民王国」としても有名である。
日本一のだるまの産地であり、国道18号沿いにはだるまの生産工場が集中している。また、群馬交響楽団が本拠地を置く数少ないオーケストラのある地方都市であり、毎年10月の中旬に高崎マーチングフェスティバルを開催し、毎年世界的なマーチングバンドを招いたり、市内各小学校や企業団体のバンドが一同に集まり、市街地のメーンロードを行進する。古くから音楽とともに歩んできたことから、高崎市は「音楽のある街、高崎」と銘打っている。また、高崎フィルム・コミッションにより、ドラマ・映画・プロモーションビデオ等の撮影を誘致しており、しばしば高崎の市街地や学校などが登場する。毎年、高崎映画祭を開催するなど、音楽以外の芸術・文化活動も盛んである。
また、昭和40年代の上越新幹線ルート発表を契機に市が主導となって行った再開発事業などは30にもおよぶ。詳しくは高崎市の再開発を参照のこと。
毎年元日に行われる全日本実業団対抗駅伝大会では、高崎市役所が1区と2区の中継地点となる。
[編集] 高崎市のシンボル
- 市の花
- 市の鳥
- 市の木
[編集] 高崎市の宣言・憲章
- 地球市民宣言
- 生涯学習都市宣言
- いきいき長寿社会憲章
- ゆとり創造都市宣言
- 核兵器廃絶平和都市宣言
- 交通安全都市宣言
- 身体障害者福祉モデル都市宣言
[編集] 地理
関東平野の北西部に位置している。西端は長野県北佐久郡軽井沢町、東端は埼玉県児玉郡上里町に接しており、群馬県南西部をほぼ横断する形になっている(飛地があるため、完全に横断する形ではない)。
市内から赤城山・榛名山・妙義山の上毛三山を望むことができる。特に榛名山は、その山頂部の大部分が市域に含まれる。 また市内には、利根川・烏川・碓氷川など、大きな一級河川が流れている。特に烏川は、流域のほとんどが市域に含まれる。 海岸より100km以上離れた内陸に位置するにもかかわらず、中心市街地の標高は97.1m(高崎市役所)と低い[2]。しかし、市の北部や西部には、標高1000m以上の地点も存在している。
[編集] 市勢
[編集] 概要
- 面積:401.01km²
- 人口:346,544人
- 男性:170,868人
- 女性:175,676人
- 世帯数:139,316世帯
(2008年1月1日現在)
[編集] 人口
| 高崎市と全国の年齢別人口分布図(比較) | 高崎市の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
|
■紫色は高崎市
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
- 年間1000人~2000人程度の人口増加が見られる。
[編集] 隣接している自治体
[編集] 中心市街地
高崎市の中心市街地は、およそJR高崎線とJR信越本線、国道17号で囲まれた地域である。この地域は江戸時代以来の城下町であったとともに、中山道の宿場町でもあった。市役所を始めとする主要な行政機関や文化施設、また数多くの商店街や銀行、大型商業施設、宿泊施設などがこの地域に立地している。ただ、近年は高崎駅の東側にも商業施設や文化施設が進出してきている。
- 高崎駅西口
- 西口にはペデストリアンデッキが設置されている。
- 西口の日本通運などが所有する平面駐車場などの土地に、「高崎駅西口第四地区優良建築物等整備事業」により、地上8階建ての商業ビルが建設予定。西口とペデストリアンデッキで接続予定。
- 西口北側には慈光通り沿いに高島屋、ビブレや駅ビルモントレーが並び、数棟のオフィスビルやタワーレコードやGAPなどの路面店、「レンガ通り」を中心とした専門店が並び賑わいを見せている。また、ウエストパーク1000といった大型立体駐車場、15階建て程度のマンションやビジネスホテルが建ち並ぶなど、高崎駅から田町通り(県道25号線)までの狭い地域に高層建築物が密集している。田町通りを越えると低層のオフィスが目立つようになり、烏川を渡った途端にのどかな住宅地の風景をのぞかせるなど、都市と住宅、田園の2つの顔を持った街並みが特徴である。
- 西口南側には約500室の東横イン、約250室のアパホテルやマンション、350台程度の立体駐車場や市営の自転車駐輪場や高崎哲学堂、高崎市美術館やオフィスビルなどがある。
- 高崎駅西口を起点とするシンフォニーロード沿いには、数棟の雑居ビルやオフィスビル、高崎市役所や医療センター、シティギャラリー、群馬音楽センターなどの文化施設が集中している。また、このシンフォニーロードは全線で電線地中化が完了している。
- 高崎城跡と中心とした高崎城址地区には地元資本の百貨店スズランや数棟のオフィスビルが並び、ホテルや高層マンションの新規着工が目立つ。
- 高崎駅東口
- 東口にはペデストリアンデッキが新規に設置される。またそれに合わせて東口広場の再編工事も実施されている。
- 東毛広域幹線道路の起点である。東口駅前は4車線で開通しているが、岩押町付近からは暫定2車線で開通している。平成24年度までに4車線化され、全線で開通する予定。
- 2008年7月11日ヤマダ電機の都市型店舗LABI1 TAKASAKI(ラビワン・高崎)が国内最大級の家電量販店として誕生した。(同時に前橋市より同ビルに本社屋を移転)
- ココパルク800の西側平面駐車場に、「高崎駅東口第八地区優良建築物等整備事業」による、地上17階建ての再開発ビル(テナント・ホテル・駐車場の複合ビル)が今年5月ごろ着工予定。
- 2007年11月、高崎駅東口の新幹線高架下の約4600平方メートルの敷地に、東日本旅客鉄道高崎支社や市などが商業施設などを開発する計画があることが分かった。
- 高崎競馬場跡地といった大規模跡地が隣接しており、省庁誘致やサッカースタジアム建設、芸術ホール建設などの具体案が出ているが、詳細についてはまったく未定である。
- 高崎問屋町駅周辺
- 高崎駅周辺の副都心的な位置付け。商工会議所や群馬銀行高崎支店、ビエント高崎展示会館などが集まり、近年は、新駅設置なども影響して、分譲マンションの建設や近隣でのニュータウン造成が活発化してきている。
- 高崎問屋町駅から西に約800mの敷地に、群馬パース大学が地上9階建ての新キャンパスを開校すると発表。2011年春までに開校予定。
[編集] 歴史
[編集] 年表
- 江戸時代
- 1598年(慶長3):井伊直政により、高崎城が建設される。
- 1604年(慶長9):酒井家次高崎藩主となる。
- 1619年(元和5):安藤重信高崎藩主となる。
- 1633年(寛永10):徳川忠長高崎城内で自刃。
- 1710年(宝永7):間部詮房高崎藩主となる。
- 1717年(享保2):松平輝貞高崎藩主となる。以後明治維新に到るまで松平家が代々高崎藩主を勤める。
- 1720年(享保5):高崎城下の町家数1358軒・人口5735人
- 1793年(寛政5) :農村復興を目的に岩鼻陣屋(代官所)が置かれる。
- 明治から第二次大戦まで
- 1871年(明治4):廃藩置県で群馬県の県庁所在地となる。
- 1872年(明治5)6月15日 (旧暦):群馬県庁が高崎から前橋に移転する。
- 1873年(明治6)6月15日:入間県と群馬県が合併し、熊谷県に置き換わる。県庁は熊谷に置かれた。
- 1876年(明治9):再び群馬県に置き換わり、県庁も高崎に再設置される。
- 1881年(明治14):県庁が前橋に移転する。
- 1884年(明治17)5月1日:高崎線高崎駅開業。
- 1889年(明治22)4月1日:町制施行で高崎町となる。
- 1897年(明治30)9月10日:上信電鉄上信線開業。
- 1900年(明治33)4月1日:市制施行で高崎市となる。
- 1927年(昭和2) 4月1日:群馬郡塚沢村・片岡村を編入。
- 1937年(昭和14)10月1日:群馬郡佐野村を編入。
- 第二次大戦後
- 1945年(昭和20):群馬交響楽団発足。
- 1951年(昭和26)4月1日:群馬郡六郷村を編入。
- 1955年(昭和30)1月20日:群馬郡新高尾村の大部分(一部は前橋市へ編入)・中川村・碓氷郡八幡村・豊岡村を編入。
- 1955年(昭和30)8月1日:群馬郡長野村を編入。
- 1956年(昭和31)9月30日:群馬郡大類村・多野郡八幡村を編入。
- 1957年(昭和32)8月1日:群馬郡岩鼻村の一部(大字矢中・岩鼻・東中里・台新田)を編入。(大字綿貫・栗崎は群馬郡群南村へ編入した分村合併)
- 1957年(昭和32)9月1日:下大類町(旧大類村の一部)を群馬郡群南村へ境界変更により編入。
- 1958年(昭和33):開府360周年。
- 1963年(昭和38)3月31日:群馬郡倉賀野町を編入。
- 1965年(昭和40)9月1日:群馬郡群南村を編入。
- 1980年(昭和55)7月17日:関越自動車道高崎IC開通。
- 1982年(昭和57)11月15日:上越新幹線高崎駅開業。
- 1990年(平成2):市制90周年。
- 1997年(平成9)10月1日:長野新幹線開業。
- 2000年(平成12):市制100周年記念式典挙行。記念キャラクターは「だるまる君」。
- 2001年(平成13)3月31日:北関東自動車道が高崎JCT~伊勢崎IC間で開通。
- 2001年(平成13)4月1日:特例市に移行。
- 2004年(平成16)10月23日:新潟県中越地震で、高崎市高松町では震度5弱を観測した。
- 2006年(平成18)1月23日:群馬郡倉渕村・箕郷町・群馬町・多野郡新町を編入。
- 2006年(平成18)10月1日:群馬郡榛名町を編入。
- 2006年(平成18)10月10日:当市と安中市に「高崎ナンバー」が導入される。
[編集] 都市名の由来
当初、高崎の地は「和田」と呼ばれていた。「高崎」という都市名の由来については、以下の伝承がある。 高崎城が和田城の跡に完成した際に、城主である井伊直政は、当地を「松ヶ崎」という名前に改めようと思った。
そこで、その件を常日頃から信頼を寄せている箕輪の龍門寺の住職である白庵に話した。白庵は「もっともなことではありますが、諸木には栄枯あり、物には盛衰があるのは珍しいことではありません。殿様が、家康様の命を受けて和田の地に城を築いたのは権力の頂点に立った大名に出世されたからであります。そうであれば『成功高大』の意味を採って『高崎』と名付けた方がよいのではないでしょうか?」と言った。
白庵の含蓄ある言葉を聞いて喜んだ直政は、直ちに「和田」を「高崎」と改めた。そして白庵が箕輪から転住した龍広寺の山号に、「高崎」の2字を与え感謝の意を表した。
[編集] 高崎と群馬県庁
廃藩置県当初、群馬県庁は高崎に置かれていた。しかし、徴兵令が発布されると、高崎城に鎮台の分営が置かれることになり、兵部省(陸軍)の管轄下となったため、県庁は追われるように前橋に移転した。1873年に、群馬県が入間県と合併して熊谷県となった後、1876年に分割されて再び群馬県となると、県庁は再び高崎に置かれた。
しかし、仮庁舎が置かれた場所は狭く、各部署があちこちに散在する状態であった。こうした中で、前橋市民が県庁の誘致に乗り出した。県職員の住宅や、県職員の子弟の学校を造ることが県庁移転の条件とされていたが、住民たちから多くの寄付金を集めることに成功し、必要施設は建築された。当時の前橋は、生糸貿易で富を築いており、県庁の誘致はその経済力が大きく作用したといわれる。[要出所明記] 1881年に、群馬県庁が正式に前橋に置かれることが、明治政府から発表された。この決定に怒った高崎市民は、猛烈な県庁奪還運動を行ったが、ついに県庁が高崎にかえることはなかった。
[編集] 「平成の大合併」について
第一次合併(新町・群馬町・箕郷町・倉渕村)
1997年以来、中核市への移行を目指して周辺市町村との合併を模索してきたが、2003年12月に倉渕村・群馬町・新町・吉井町と任意合併協議会を設置し、合併協議が本格化した。その後、吉井町は法定合併協議会設置案を否決して協議から離脱した。 箕郷町では住民投票の結果賛成多数となった事を受けて、倉渕村・群馬町・新町とは別に、高崎市との法定合併協議会を設置した。 その後、5市町村は同時合併を目指して合同で協議会を開き、2005年2月8日に合併協定の調印に至った。
2006年1月23日、倉渕村・箕郷町・群馬町・新町の4町村を高崎市に編入し、法定人口(合併市町村の2005年国勢調査人口の合算値)が318,097人となり、中核市への移行要件を満たすことになった。 この時点では榛名町が合併慎重派の町長と推進派が多い町議会の対立などで合併協議に加わらなかったため、旧倉渕村は飛地となった。また、旧新町も藤岡市などとの合併協議から離脱し、隣接していないが繋がりの深い高崎市との合併を選択したため、飛地となった。
なお、この合併によって住所表記が以下のように変更された。
- 旧高崎市はほぼ変更はないが、「高崎市新町(あらまち)」は新町地域と重複する為「高崎市あら町」に変更された。
- 旧群馬町は合併前の大字名の後に「町(まち)」が付いた。
- 例:群馬郡群馬町大字金古→高崎市金古町
- 旧箕郷町は「箕郷町」、旧倉渕村は「倉渕町」と高崎市の後に付き、その後に合併前の大字名が付いた。
- 例) 群馬郡箕郷町大字柏木沢→高崎市箕郷町柏木沢
- 例) 群馬郡倉渕村大字三ノ倉→高崎市倉渕町三ノ倉
- 旧新町は多野郡の部分が「高崎市」に変更された。
- 例) 多野郡新町→高崎市新町
第二次合併(榛名町)
榛名町では、2005年11月に合併推進派の住民が約7900名の署名を集めて慎重派の町長の辞職を請求し、町長はリコール投票前に辞職、これを受けた町長選挙の結果、2005年12月に合併推進派の町長が就任した。一方、慎重派の住民が起こした町議会リコールの住民投票でも「解散反対」が多数を占め、その後2006年2月に高崎市と榛名町は合併協議会を設置した。 高崎市と倉渕村・群馬町・新町・箕郷町との合併協定項目を榛名町が追認する形を取ったため、5月8日には合併協定調印にこぎつけ、両市町議会、群馬県議会の議決を経て、7月13日には総務大臣が官報に告示し、2006年10月1日に合併が行われた。 この合併により旧倉渕村域の飛地状態が解消され、高崎市の人口は約34万人と史上初めて前橋市の人口を上回り、県内で最も人口を抱える都市となった。同時に広大な市域を抱えたことから、人口密度は太田市に次いで県内第5位である。
なお、この合併によって旧榛名町の住所表記が、合併前の大字名の後に「町(まち)」が付く形に変更された。
- 例) 群馬郡榛名町大字下室田→高崎市下室田町
但し、大字榛名山地域は、地区住民の総意として榛名湖周辺の次の区域が合併と同時に高崎市榛名湖町に分割された。
- 字滝ノ平、氷室嶽、天神嶺、相馬嶽、沼ノ原、富士山及び榛名湖の区域
第三次合併(吉井町)
2008年7月、高崎市と吉井町による合併協議会が設置され、2009年6月1日の合併を目指し、2008年10月16日に高崎市長・吉井町長による合併協議項目の調印を完了させている。合併が実現した場合、新市人口は36万6966人(2008年6月1日現在)に及ぶ。吉井町長は4度目となる住民投票をする意向を示しており、今後も紆余曲折が見込まれる。[要出典]
将来構想(前橋市・玉村町)
高崎市は2002年6月に玉村町に合併を呼びかけたが、2003年12月の任意合併協議会設立に玉村町は参加を見合わせた[3]。2007年にも玉村町の住民署名による直接請求に応じて、高崎市は合併協議会の設置を可決しているが[4]、玉村町では否決している。2008年1月20日に行われた玉村町長選では、高崎市との合併推進派と合併慎重派の一騎打ちとなったが、合併慎重派候補が当選している。
2007年10月に前橋市長から、高崎との合併による政令指定都市実現を構想する旨の発言があった[要出典]が、NIRA(総合研究開発機構)の対談シリーズ(第26回;2007.11.19)において、松浦・高崎市長は「前橋との合併は極めて困難」であると語っている。
松浦高崎市長は、自らのホームページ上で、「高崎市は、高崎都市圏(玉村町・吉井町・藤岡市・安中市)での広域合併を実現し、太平洋と日本海を結ぶ結節点として、新潟市やさいたま市等の政令指定都市に比肩しうる拠点都市を実現したい」旨を表明している。
[編集] 行政
- 市長:松浦幸雄(まつうら ゆきお)(6期目、任期満了日:平成23年5月1日)
[編集] 歴代市長
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 初代 | 矢島八郎 | 明治33年7月18日 | 明治39年7月16日 |
| 2 | 生沢一太郎 | 明治39年7月20日 | 明治41年10月7日 |
| 3-4 | 内田信保 | 明治41年11月5日 | 大正7月11月4日 |
| 5 | 古木秀太郎 | 大正8年2月3日 | 大正10年7月22日 |
| 6 | 土谷全次 | 大正10年9月1日 | 大正14年8月31日 |
| 7 | 青木道 | 大正15年1月9日 | 昭和5年1月8日 |
| 8 | 金山鉄吉郎 | 昭和5年3月3日 | 昭和5年4月26日 |
| 9 | 関根作三郎 | 昭和5年5月10日 | 昭和7年8月21日 |
| 10 | 山浦市三 | 昭和7年8月29日 | 昭和11年8月28日 |
| 11-13 | 久保田宗太郎 | 昭和11年9月11日 | 昭和21年11月15日 |
| 14-15 | 小島弘一 | 昭和22年4月10日 | 昭和30年5月1日 |
| 16-19 | 住谷啓三郎 | 昭和30年5月2日 | 昭和46年5月1日 |
| 20-23 | 沼賀健次 | 昭和46年5月2日 | 昭和62年5月1日 |
| 24-29 | 松浦幸雄 | 昭和62年5月2日 | 現職 |
[編集] 市役所
- 本庁舎(群馬県高崎市高松町35番地1)
- 現在の高崎市役所本庁舎は、1998年(平成10年)に建設されたものであり、地上21階、地下2階、高さ102.5mである。その前の旧庁舎は、同じ高崎城址内のもてなし広場の位置にあった。新市庁舎は、その規模の大きさから賛否両論があった。[要出典]市庁舎周辺には、桜の名所である高崎城址公園を始め(市役所は高崎城本丸にある)、高崎城の堀や群馬音楽センター、群馬シンフォニーホール、シティーギャラリーなどが集中しており、近年では年末になると一帯で大規模なイルミネーションが行われる。ちなみに新市庁舎は映画「半落ち」や「包帯クラブ」にて登場した。また漫画「ハチミツとクローバー」にも登場する。また庁舎21階には無料展望ホールが併設されており、平日には来庁者が憩いの場として、週末には家族連れや観光客などで賑わう。
- 支所
- 2006年以降に編入合併した町村については、総合支所方式で旧町村毎に支所を設けている。それぞれの支所は、旧町村の役場の建物が流用されている。
- 倉渕支所(高崎市倉渕町三ノ倉303)
- 箕郷支所(高崎市箕郷町西明屋702番地4)
- 群馬支所(高崎市足門町1658)
- 新町支所(高崎市新町3152番地)
- 榛名支所(高崎市下室田町900番地1)
- 市民サービスセンター
- 2006年の合併以前の市域には、届出や証明書の発行を受けることができる市民サービスセンターが9箇所ある。
- 倉賀野市民サービスセンター(倉賀野町1900番地12)
- 六郷市民サービスセンター(下小鳥町76番地5)
- 片岡市民サービスセンター(石原町3892番地7)
- 京ヶ島市民サービスセンター(矢島町229番地)
- 中川市民サービスセンター(井野町1060番地1)
- 八幡市民サービスセンター(藤塚町187番地1)
- 中居市民サービスセンター(中居町三丁目28番地2)
- 南八幡市民サービスセンター(山名町155番地)
- 高崎駅市民サービスセンター(八島町222番地)
[編集] 裁判所
[編集] 警察
- 高崎警察署(高崎市台町4-3):新町地区を除く市内全域を管轄
- ※新町地区は藤岡警察署が管轄
[編集] 消防
高崎市等広域消防局(高崎市八千代町1-13-10)
- 高崎中央消防署
- 西分署
- 高崎東消防署
- 群南分署
- 高崎北消防署
- 倉渕分署
- 箕郷分署
- 群馬分署
- 榛名分署
- ※新町地区は当面の間、新町消防分署を所管する多野藤岡広域市町村圏振興整備組合(多野藤岡消防本部)に事務委託
[編集] 主な国の出先機関
- 関東地方整備局高崎河川国道事務所
- 高崎労働基準監督署
- 高崎社会保険事務所
- 高崎税務署
- 高崎統計情報事務所
- 食糧事務所高崎支所
- 東京入国管理局高崎出張所
- 前橋地方法務局高崎支局
- 前橋地方検察庁高崎支部
[編集] 独立行政法人
|
|
[編集] 主な県の出先機関
- 群馬県西部県民局
|
|
[編集] 市議会
- 議員定数:46人(欠員1)
- 任期満了日:平成23年4月26日
- 議員報酬:月額57万円。合併後最初の改選までは旧市町村での報酬額を踏襲し、1市6制度となっていた
- 合併後最初の市議会議員一般選挙(平成19年4月15日告示、4月22日投票)に限り、次の通り選挙区:定数を設けた
- 高崎選挙区:32
- 倉渕選挙区:1
- 箕郷選挙区:3
- 群馬選挙区:5
- 新町選挙区:2
- 榛名選挙区:3
在任特例を適用したため、榛名町を編入した平成18年10月1日時点で議員数が112人となり、同じく特例を適用した岩国市議会の110人(当時)を抜き、全国一のマンモス市議会となっていたが、平成19年4月26日の任期満了をもって解消した。
この間、死去(2人、平成19年1月10日及び同3月12日)、県議選への転出(1人)、辞職(5人、すべて平成19年3月31日付)により、任期満了時点で104人となっていたが、他の多くのマンモス議会は改選により適正規模となっていたため、一貫して全国一の規模にあった。
設置されている委員会
- 総務常任委員会
- 教育福祉常任委員会
- 市民経済常任委員会
- 建設水道常任委員会
- 中核市移行調査特別委員会
- 総合交通対策特別委員会
- 地域医療施設・新図書館整備特別委員会
- 大規模公共用地活用対策特別委員会
- 議会運営委員会
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 産業
年間商品販売額(万円)(2004年)
- 128,166,720 (群馬県全体の21.2%=県内第2位)
売場面積(m2)(2004年)
- 380,655 (群馬県全体の13.8%=県内第2位)
製造品出荷額(百万円)(2004年)
- 592,832 (群馬県全体の7.8%=県内第5位)
[編集] 農業
- 農業産出額…40億1千万円(2003年)
- 農家数…3688(2000年)
- 経営耕地面積…2172ha(2000年)
[編集] 工業
高崎市は北関東工業地域の一角であり、製造品出荷額(2004年)によると太田市に次いで県内第2位の工業都市となっている。
- 市内の工業団地(計20ヶ所)
|
|
|
|
[編集] 事業所を置く主な企業
- 2000年にビール工場を閉鎖し、現在は医薬部門(現:キリンファーマ)のみ操業している。
- 世界に4ヶ所しかないハーゲンダッツのアイスクリーム工場の一つで、国内唯一。高梨乳業と合弁で製造。
- クラシエフーズ(旧カネボウフーズ、官営新町紡績所跡)
- 大塚製薬
- P&G
- 日本ケロッグ
- 沖電気
- ルネサステクノロジ(旧日立製作所汎用半導体事業部)
- 太陽誘電
- ニップン冷食(旧日本製粉高崎工場)
- マックス
- 創業地は高崎市。本社は東京都へ移転したが、現在でも高崎事業所(2002年に、高崎工場は生産部門を他工場へ移管された)が存在し、開発などが行われている。
- 古河機械金属(旧古河鉱業高崎工場)
- かつて事業所を置いた主な企業
- 日清製粉 1988年閉鎖
- 現在、跡地は高層住宅の再開発計画が進行中である。
- 日本製粉 1994年製粉部門廃止、冷凍食品部門を分社化 →ニップン冷食高崎工場
- 三国コカ・コーラボトリング 2002年12月閉鎖、物流センターは存続
- 日本たばこ産業(JT) 2005年閉鎖
高崎市では、麒麟麦酒工場跡地に公共施設を建設するなどの有効活用を検討中であったが、2007年9月に森永製菓が2010年1月の生産開始を目指して新工場を建設すると発表した。森永製菓の既存工場の大部分を集約し、生産額500億円を目指す国内最大級の規模になる。しかし、2008年6月には新工場建設を無期限停止すると発表。背景には当時進行していた、原油高に伴う原料高騰による収益減があると考えられる。ちなみに麒麟麦酒工場跡地では2006年に公開された映画『日本沈没』のロケが行われた。
[編集] 商業・娯楽施設
高崎駅西口側の中心市街地には、高島屋やスズラン、ビブレなどの大型店舗や専門店(ファッション関係の店が多い)、飲食店などが立ち並んでいる。昔からある商店街はシャッターを下ろしている店が幾つかあるが、そこそこの賑わいを見せている。市外からの来訪者にとって、駅前が中心街になっている高崎市は、中心街が駅から離れている前橋市よりも活気が感じられる(中心街の実質的な規模は前橋市のほうが大きい)[要出典]。
